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仙台高等裁判所 昭和26年(ナ)21号 判決

原告 高奧米吉 外二名

被告 青森県選挙管理委員会

一、主  文

被告が昭和二十六年四月二十三日に行われた青森県三戸郡五戸町議会議員一般選挙の当選の効力に関する訴外工藤祐忠からの訴願について、昭和二十六年九月十九日した裁決、即ち「青森県三戸郡五戸町選挙管理委員会が訴願人工藤祐忠のした同町議会議員一般選挙の当選の効力に関する異議申立につき、昭和二十六年五月十五日にした決定を取消す。五戸町議会議員一般選挙における当選人中高奥米吉、豊川武之助、木村小彌太以上三名の当選を無効とする。」旨の裁決中、原告高奥米吉同豊川武之助に関する部分を取消す。

原告等のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その二を被告の負担とし、その余を原告等の負担とする。

二、事  実

原告訴訟代理人は、「被告が昭和二十六年九月十九日した主文第一項記載の裁決は、全部これを取消す。」旨の判決を求め、その請求の原因として、

一、昭和二十六年四月二十三日執行されて青森県三戸郡五戸町議会議員一般選挙における定員は二十二名で立候補者氏名並に各候補者の得票数は別紙候補者氏名及び得票数一覧表記載のとおりであるが、原告等三名は右選挙に立候補し当選した。

二、訴外工藤祐忠は右選挙の当選の効力に関し同年五月四日五戸町選挙管理委員会に対し異議の申立をしたが、同選挙管理委員会は同年五月十五日右異議申立を棄却する旨の決定をした。

三、同訴外人は更に同年六月四日被告に訴願したところ、被告は同年九月十九日右訴願を理由ありとして、右五戸町選挙管理委員会の決定を取消し、原告等三名の当選を無効とする旨の裁決をした。

四、而してその理由とするところは、右選挙において投票をした選挙人(1)相内吾助、(2)相内ユキ、(3)鳥谷部源一、(4)久保コト、(5)川村孝之助、(6)畠山静江、(7)福田せつ、(8)高奥コウ、(9)北俊郎、(10)石渡せつの十名は選挙当時いずれも選挙権を有しない選挙無資格者であつてその投票は無効であるから、右無効投票を各当選人の得票から控除するときは、第十九位の当選人柏崎一郎の得票数は百二十四票に、第二十位当選人原告高奥米吉の得票数は百二十二票に、第二十一位当選人原告豊川武之助の得票数は百十九票に、第二十二位当選人原告木村小彌太の得票数は百十七票となり、次点者川村宮太郎、松沢菊三の得票数百二十二票と比較するときは第十九位当選人柏崎一郎までは何等影響がないけれども、第二十位以下の原告等三名の得票数は次点者の得票数と同数又はそれ以下となり原告等の当選に影響を及ぼすことになるから、原告等の当選は無効であるというのである。

五、しかし、右十名が本件選挙に投票したことは争わないが、いずれも選挙権を有したもので右裁決は不当であるから本訴に及ぶ次第である。

と陳述し、

六、被告の主張に対し、

(1)  相内吾助、(2)相内ユキの住所は五戸町にあり両名は一時的に倉石村に仮寓しているにすぎない。

(3)  鳥谷部源一の生活の本拠は五戸町蛯川にあるから同所が住所である。

(4)  久保コト、(5)川村孝之助、(6)畠山静江の生活の本拠はいずれも五戸町にあり、選挙当時一時的に出稼に出ていたにすぎない。

(7)  福田せつが被告主張の日に河原木久蔵と婚姻したことは認めるが、選挙当時は五戸町の実家に居住して同所に住所を有していたのである。

(8)  高奥コウが被告主張の日に松尾芳郎と婚姻したことは認めるが夫芳郎は鉄道官舎に居住することになつていたのに、官舎に空がなかつたゝめ、婚姻後も引続き五戸町に居住していたのである。

(9)  北俊郎が被告主張のとおり東北大学に在学し仙台市北七番町の明善寮に入寮していたことは認めるが生活の本拠は五戸町にある。

(10)  石渡せつが本件選挙当時満二十才に達しない未成年者であつたことは争わない。

と述べた。

(証拠省略)

被告指定代理人は、原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として、原告の主張事実中、一乃至四の事実は認める。

(1) 相内吾助、(2)相内ユキ両名は昭和二十三年三月以来三戸郡倉石村大字石沢地内に一戸を構え、同所に家族と共に居住している。

(3) 鳥谷部源一は昭和二十五年十一月十六日上北郡六戸村に転居し同村に居住している。

(4) 久保コトは昭和二十六年一月十五日八戸市に転住後同市番町旅館昭和館の女中として同所に居住している。

(5) 川村孝之助は昭和二十五年二月八戸市営バスの運転手となり同年八月頃まで五戸町から通勤していたが、同年九月から八戸市竹尻商店のトラツク運転手となり爾来同市に居住している。

(6) 畠山静枝は昭和二十五年十月二十五日盛岡市から五戸町に転入したのであるが、昭和二十六年三月二十日三戸郡留崎村桐萩西村楼に接客婦として転出した者であつて五戸町から住所を同所に移転した。

(7) 福田せつは昭和二十六年四月十四日八戸市大字湊町字館鼻、河原木久蔵と婚姻して以来同所に居住している。

(8) 高奥コウは昭和二十六年四月十五日三戸郡三戸町松尾芳郎と婚姻し、直ちに三戸町に居住したが、その後同郡上長苗代村尻内に夫とともに一戸を構え居住している。

(9) 北俊郎は昭和二十四年九月以来仙台市東北大学工科に在学し、同市北七番町明善寮に入寮している。

右の次第で以上九名はいずれも選挙当日五戸町に住所を有せず選挙権がなかつたのである。又

(10) 石渡せつは昭和六年十月二十五日生で選挙当時満二十才に達していなかつたのであるから選挙権がなかつたのである。

と述べた。

(証拠省略)

三、理  由

原告主張事実中一乃至四の事実及び原告主張の十名の者が本件選挙に際し投票したことは当事者間に争がない。而して(10)石渡せつが本件選挙当時満二十才に達しない未成年者であつたことも当事者間に争がないから、同人は本件選挙につき選挙権をもたなかつたものといわねばならない。

よつて以下右石渡せつを除く九名の者が選挙当時五戸町に住所を有していたかどうかの点について、順次判断する。

(1)  相内吾助、(2)相内ユキ両名、

成立に争のない乙第一号証の六証人松木紀一郎の証言により成立を認め得る乙第一号証の一と証人相内吾助の証言を綜合すると、相内吾助、ユキ両名は夫婦であつて、五戸町の松尾病院の入院室を借り住んでいたのであるが手狭であるため、昭和二十三年三月三戸郡倉石村大字石沢字蟹沢七番地に家族と共に移転し、以来同所に居住している事実が認められるから、両名の住所は昭和二十三年三月以来倉石村にあつて、五戸町にはないものといわねばならない。尤も同証人は倉石村には永く居住するつもりはなく、五戸町に住家をみつけるまで一時的に居住しているのであつて、配給は五戸町で受け、子女は五戸町の学校に通学させている旨証言しているけれども、倉石村に転居してから後もなお同人等が五戸町に生活の本拠を有することは何等これを認めるに足る証拠がない。

(3)  鳥谷部源一、

成立に争のない乙第二号証の二と証人鳥谷部源一、鳥谷部源吉の証言とを綜合すると、鳥谷部源一は五戸町に家屋と農地を所有しているけれども、これを他に貸して、自分は昭和二十五年十一月から上北郡六戸村大字犬落瀬字若宮に父源吉等と共に居住し、農業を営むかたわら父源吉の「パオリ」製造の手伝をしている事実が認められるから、同人の生活の本拠は六戸村にあつて、五戸町には住所を有しないものといわねばならない。

右認定に反する甲第二号証の一の記載は措信できないし、その他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(4)  久保コト、

成立に争のない乙第三号証の二乃至五と証人一戸兵蔵の証言を綜合すると、久保コトは幼少の頃五戸町上大町十番地一戸兵蔵の事実上の養女となり同人方で育てられたが十七歳の頃から千葉県下に働きに行き昭和二十五年七月に同人方に帰つてからは同人方に居住して同人の営む旅館の手伝をしたり、知合の家に手伝に出たりしていたが、昭和二十六年三月三十一日から荷物を同人方においたまゝ八戸市大字番丁七番地旅館昭和館の女中として住込んでいる事実が認められる。これによつてみると久保コトは八戸市に一時出稼ぎに行つているものであつて、同人の生活の本拠は一戸兵蔵方にあるものと認めるのが相当であるから本件選挙当時久保コトの住所は五戸町にあつたものといわなければならない。

(5)  川村孝之助

成立に争のない乙第四号証の三と証人川村孝之助の証言を綜合すると、川村孝之助は五戸町字観音堂五番地に居住する川村三治の二男であつて、昭和二十四年頃から八戸市営バスの運転手となつたが、昭和二十五年四月頃これをやめ、一時高館労務管理所に雇われたがその後昭和二十五年十月頃から八戸市大工町竹尻善四郎商店にトラツク運転手として雇われ、その間昭和二十六年六月十日妻帯するまでは、勤務の都合上八戸市居住の姉の家に寝泊りしていたけれども、自己の衣類器物などは五戸町の生家に置いたまゝで時に生家に帰り、主食も生家から運んでいたものであつて、妻帯と同時に自分の荷物を生家から運んで八戸市に落着くようになつたことが認められ右認定を動かすに足る証拠はない。右によつてみると川村孝之助の生活の本拠は同人が妻帯するまでは五戸町の父三治方にあつたものと認めるのが妥当であるから、本件選挙当時同人の住所は五戸町にあつたものといわねばならない。

(6)  畠山静江

成立に争のない乙第五号証の二乃至七、証人船橋寅雄の証言により成立を認める乙第五号証の一と証人小村文彌の証言とを綜合すると、畠山静江は接客婦を業とするものであつて、昭和二十五年十月頃盛岡市八幡町から五戸町に来て、同町字新丁十四番地料理店小村あき方において接客婦をしていたのであるが、昭和二十六年三月二十九日同人方を辞め、三戸郡留崎村大字梅内字城の下一番地西村清至方に移り、次いで同年九月二十日頃二戸郡福岡町字長嶺料理屋金盛方に移つて接客婦をしていた事実が認められるから、本件選挙当時は五戸町に住所を有しなかつたものといわねばならない。原告は畠山静江は五戸町に住所があり選挙当時は一時出稼に出ていたに過ぎないと主張するけれども、同人が留崎村の西村清至方に移つた後もなお五戸町に生活の本拠があつたことを認めるに足る証拠はない。

(7)  福田せつ

福田せつが昭和二十六年四月十四日河原木久蔵と婚姻をしたことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第八号証、乙第六号証の二によれば、福田せつは久蔵と婚姻と同時に五戸町の住居から八戸市大字湊町字柳町四十七番地の久蔵方に転居して同人と同棲している事実が認められるから、福田せつは久蔵と婚姻以後住所を久蔵方に移転し、本件選挙当時は五戸町に住所がなかつたものといわねばならない。右認定を覆すに足る証拠はない。

(8)  高奥コウ

高奥コウが昭和二十六年四月十五日松尾芳郎と婚姻をしたことは当事者間に争がない。而して成立に争のない乙第七号証の五、当裁判所が真正に成立したものと認める甲第一号証の三と証人松尾コウの証言を綜合すると、当時芳雄は三戸郡上長苗代村大字尻内所在の鉄道職員寮に寄宿していて、婚姻と同時に鉄道官舎を一戸借受けコウと同棲する予定であつたところ、鉄道官舎が空かないため、コウは官舎が空くまでは芳郎と同居せず五戸町字川原四十六番地の実父の家に居住することゝなり、同年六月五日三戸郡上長苗代村大字尻内鴨ケ池所在の鉄道官舎が空くとゝもに同所に移転し、芳郎と同棲するに至つたものであることが認められる。結婚と同時に夫婦はその住居を一にすることが通常の事例であることはいうまでもないところであるけれども、高奥コウについては右認定のような特段の事情があつたために、本件選挙当時はなお同人の生活の本拠は五戸町の実父方にあつたものと認めるのが相当である。成立に争のない乙第七号証の二、四の記載中、コウが嫁入荷物を芳郎方に送付した旨の記載は右認定の妨げとならないし、その他右認定を覆すに足る証拠はない。

(9)  北俊郎

北俊郎が東北大学の学生であつて、仙台市北七番丁明善寮に入寮していることは当事者間に争がなく、右争のない事実と証人北俊郎の証言によると、北俊郎の両親は以前から五戸町に居住し、俊郎は休暇毎に両親のもとに帰つており両親と独立して生計を営むものではなく、両親の住家を生活の本拠とするものであることが認められるから、本件選挙当時の俊郎の住所は五戸町にあるものといわねばならない。右認定を覆すに足る証拠はない。

以上の認定事実によると、久保コト、川村孝之助、高奥コウ、北俊郎以上四名は本件選挙につき選挙権を有したが、他の六名は選挙権がなかつたものといわねばならない。而して右選挙権のない六名のした投票が無効であることはいうまでもないが、右無効投票が他の有効投票中に混入してこれを識別することができないことは弁論の全趣旨によつて明かであつて、右無効の六票がどの候補者に帰属したかは判別できないからして、これを各当選人の得票数から差引くときは、原告高奥米吉は百二十六票、原告豊川武之助は百二十三票、原告木村小彌太は百二十一票となり、原告高奥米吉、同豊川武之助の各得票数は次点者の得票数よりも多いからして、右無効投票の存在は右両名の当選の結果に影響を及ぼすものではなく、従つて右両名の当選を無効とすべきではないが、原告木村小彌太の得票は次点者の得票数より少くなり同人を当選者と決定することはできないから、同人の当選は無効とすべきものである。そうすると、被告が昭和二十六年九月十九日にした前記裁決は、原告木村小彌太の当選を無効とした部分は相当であるけれども、原告高奥米吉、同豊川武之助の当選を無効とした部分は失当といわねばならない。よつて右被告のした右裁決の取消を求める原告等の本訴請求中高奥米吉、豊川武之助両名に関する部分は正当としてこれを認容すべく、原告木村小彌太に関する部分は失当としてこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十五条、第八十九条、第九十二条、第九十三条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 谷本仙一郎 猪瀬一郎 石井義彦)

(別表省略)

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